学生ライフ
ぼっちなんて嫌だ!なぜ大学生は「ぼっち」をつらいと思うのか?

こんにちは、きっとみつかるカフェライターのおそとです。

 

新学期の授業始め、ぼくはTwitterでよくこんなつぶやきを目にします。

次の〇〇の授業、ぼっちだよ泣。誰か一緒に授業受けようよ!寂しいよ!

といった自分が1人でいることをアピールするツイート

うわ、この授業知り合いいないから履修どうしようかな~~?

といった友達と授業を受けることが当たり前みたいなツイート

 

ぼくは、現役のぼっち大学生なんですが、このような発言をみると

「は??」 「なんで??」

となり、少し怒りを覚えます。

 

授業中は、教授のお話を聴いてるから1人でもいいじゃないですか?
どうせ、黙りますよね?

ぼくは、ほぼ1人で授業を受けていますが、ぜんぜん寂しくないですよ?

というわけで、別にぼっちだって特に問題はありません。
ぼっちでいることは、悪いことではないのです。

 

でも、多くの大学生はぼっちでいることを「嫌だ、つらい」とおもうわけですよ。

 

さあここで想像してみてください。

「あなたは家に帰ってきて、毎日の日課であるゲームをひたすらやっています」
これ、1人でやっているけどけっこう楽しくないですか?

「一人暮らしで、好きなバンドの音楽を流して、自分の大好物を料理する」
ノリノリになって楽しくないですか?

 

そう、みんな意外と1人を楽しめているんですよ!

それなのに外では異常にぼっちを嫌う。

 

ちょっと

なんでぼっちを嫌ってるんだっけ?つらいとおもってるんだっけ?

ってなりませんでした?

 

そこで、「大学生がぼっちをなぜ『つらい』と思うのか」をご紹介させていただきます。

これを読めば、人間がいかに愚かなのかわかりますよ~~。



1.プライドが高いから

ぼっちを絶対悪のように嫌う大学生は、プライドがめちゃくちゃ高いです。

友達がいるから1人で授業を受けること自体を、「悪」だとしています。

 

実際は、1人で授業を受けること自体は寂しく感じてないんですよ。

 

もし、友達に自分が1人で授業受けてる姿見られたらどうしよう

と内心ヒヤヒヤしているだけです。

 

たまたま、通りがかった知り合いに

あいつ、仲のいい友達いないんだ(笑)

と噂されている状況を恐れているだけ。

 

過剰に、人に見られることを恐れているのです。

「自分には友達がいっぱいいる」というプライドの高さから。

 

プライドの欠片もなく、ぼっちで過ごしているぼくにはあまり気持ちがわかりません。

毎日、めっちゃ疲れそう。

2.1人で昼食を食べたくない

講義はともかく、昼食を1人で食べることを毛嫌いする大学生は多い。

 

だからこそ、

「ぼっちになりたくない、友達といっしょにいたい」

とおもうわけです。

 

なぜ、ぼっちを嫌うのでしょうか?

これには2つの理由があります。

周りから見られている気がする

断言しましょう!

周りはあなたのことなんかそんなに見てないし、1人でいても何ともおもっていない!

 

でも、多くの大学生は人の目を気にし過ぎています。

 

1人で昼食を食べていて笑われないかな?

ぼっちだと思われないかな?

そんな考えが頭の中を駆け巡るのです。

友達と食事をすることが当たり前だと思っている

小学校から高校まで、私たちは当たり前のように友達とおしゃべりをしながら、昼食を食べてきました。

 

小学校・中学校では、近くの人と席をくっつけて一緒に給食を食べました。
高校では、クラスの友達と一緒にお弁当を食べました。

 

そう、私たちは12年間で「友達と食事をする」という当たり前を植え付けられていたのです。

 

大学では、友達と予定が合わないということも珍しくありません。

1人で昼食を食べることもあるでしょう。

しかし、友達と食事を共にするという意識があるので、1人で昼食を食べること抵抗感を感じるのです。

 

ぼっち大学生であるぼくも、始めは1人で食事をとることに抵抗がありました。

でも、早めに昼食を食べれば課題などができるので、次第に抵抗はなくなっていきました。

3.友達といることが当たり前だから

はい、また「当たり前」です。

 

思い出してください。

クラスがあった小学校から高校で友達がまったくいない人はいましたか?

 

いなかったでしょう。
いても、学年に1人くらいかな。

現在、ぼっち大学生のぼくでもそれなりに友達はいました。

 

多くの人は、友達はそこそこいるけど、特に気の合う友達のグループがあって、そのグループで行動を共にしていました。

高校までは、友達と同じ教室で授業を受けるので、グループの友達と一緒にいることは当たり前だったのです。

 

大学はどうでしょうか?

クラスはなく、友達と授業が一緒とは限りません。

 

だから、友達・グループの信頼関係が高校までと比べて構築しずらいのです。

その中で、グループを確立しようと、みんな必死になります。

そう、高校までの友達と一緒にいることが「当たり前」という概念があり、意地でも友達と一緒にいようとするのです。

 

じつは、4人グループの1人だけ遊びに誘われなかったというのもよく聞く話。

僕だったら、そんなグループ今すぐにでも去るのに。

 

友達・グループでいることが「当たり前」で、ぼっちになることなんて頭にない大学生は、嘘の関係を保ち続けるのです。

 

まるで、ぼっちでいることが絶対悪のように。

さいごに

結局、「当たり前」という一種の固定概念にとらわれて、大学生は生活しているのです。

プライドが高いのも、固定概念に縛られて威張っているだけ。

 

ぼっち大学生のぼくは、最初は悲しくなりました。

でも、ある時「固定概念」が吹っ飛びました。

 

友達がいることは素晴らしいことです。

ぼっち大学生からしたら尊敬します。

 

でも、当たり前という固定概念に縛られているのは悲しくないですか?

 

もっと楽に生きようよ。そしたら何か新しい発見があるかもよ。



 

 

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