チャオ! 取ってつけた様なございます口調がチャームポイント(?)、メンズファッションライターのサカモトでございます。
雪解け水は乾ききり、桜はすっかり葉桜になり、藤が綺麗に咲くこの頃でございますが、日差しも段々と強くなって参りました。日よけや、あるいはファッションの一部として帽子を被られる読者様も少なくない事でございましょう。
ところで皆様、大学の講義中、教授に「室内では帽子を取りなさい」的なこと、言われたことはございませんか?
皆様よもや、それに逆ギレしたりなんてことはございませんよね?
ん……?
ア リ マ セ ン ヨ ネ ?
さぁ今回はそんな装いのマナーについて根拠をキチンと説明しつつ、くわえてマナーのなんたるかを皆様が恥をかく前にお教えしましょう。
ファッションだなんだと声高に叫んでおきながら、装いのなんたるかも分かっていないようなみっともない人間にはどうかならないで下さいませ。
よくなぜ帽子を取るのがマナーなのか、と言われたとき根拠を説明できず「マナーだから」とゴリ押しする人がおります。
それに対して「根拠がないのなら取らない」という暴論を耳にしますが(もちろんそんな読者様はおられないと信じております)、まず最初にそういった暴論に反論しておくことにいたしましょう。
帽子のマナーについては諸説ございますが、まず中世ごろのヨーロッパで帽子は、頭を汚れから護るための道具として発展したと言われております。
(当時のヨーロッパというのはそれはそれは衛生環境の悪い地域だったのでございます。ハイヒールも道のゴミを踏まないように、日傘は帽子と同じ理由で使用されておりました。)
ですのでそれを室内で取る、というのは汚れを室内に持ち込まない為に、ごくごく自然なことだったのでございます。
また一説には帽子のマナーとは、西洋の甲冑の兜のかぶり方のマナーの流れを汲んでいる、という説もございます。
といいますのは、兜とはもちろん戦闘の際に頭から首を護るための防具であることは、言うまでもないことですが、それを外す=相手に対して敵意がないことを示すことになるのです。
また兜も含め、頭に被る様なものはものは権威や地位の象徴であることも多いのでございます。
それを外す=相手に対し敬意を払うことにもなるのです。
このような歴史があって、”然るべき場所では帽子は取る”というのが、時代背景が変わってもなおマナーとして根付いているのでございますね。
ではそもそもどういったときに帽子を取れば良いのか、説明いたしましょう。
早い話が基本的に室内はすべて帽子を取らねばなりません。
ただし公共施設等のロビーや学校等にあるような長い廊下ではかぶったままでも構いません。
また、屋外であったとしてもそれが食事中であったりした場合(テラス席など)では取らねばなりません。
また、葬儀や結婚式、なにかしらの儀式の最中には帽子は取るべきとされていますが、帽子が正装の一部というのが時代衣装に成り果ててしばらく経ちます。
それゆえ、そんな席に帽子をかぶって行く方は居られませんでしょうから、これはそこまで気にしなくとも良いでしょう。
※ただし女性の場合は少し勝手がちがって、帽子を取るのは人の視線を帽子で遮ってしまっている時だけなのでございます。というのも女性の帽子というのは、機能性を度外視した装飾としての意味が強いものも多かった為、そうしたルールになっていったのでございましょう。
これは正直申し上げますと、”ケースバイケース”というのがワタクシの意見でございます。
昔であれば、先ほどのルールを守っていればいいのでしょうが、現代ではそうもいきません。
多様化した価値観の中で各々がマナーのなんたるかを考えねばならないのでございます。
たとえば、それなりに高級なレストランで食事する場合、目上の方と室内で過ごす場合、格式ある空間にいる場合、などは男女問わず取った方がよろしいでしょう。
反対に、何かしらの事情(抗がん剤による抜け毛など)で帽子を脱ぐことが難しい場合はそのままでも構わないでしょう。
また、一緒に過ごす相手によっても相手のことを想い、臨機応変に対応いたしましょう。
ただしよく聞く、くせ毛が治らないから、というような理由はそもそも身嗜みがなっていない自身のみっともなさを晒すような理由でございます故、少なくとも教養ある人間の台詞ではございませんね。
というように本当にケースバイケースなのでございます。
そもそもマナーとは相手が不快に思わないように配慮することであり、形骸化したルールを頑なに守ることがマナーだとはワタクシは思いません。
相手に対して敬意を払うのであれば、それなりの行動をとる、その中で帽子を取るという動作は至極当然のことでございましょう。
帽子を取らない事を不快に思う方に対して逆上して帽子を取らないことの正当性を説くなど、それがマナーと呼べるでしょうか?
逆に帽子を取らないことが気にくわないからと、声高にナントカの一つ覚えのように「マナーが、マナーが」と糾弾することが、果たしてマナーと呼べるでしょうか?
マナーとは相手のことを考えればこそ、ルールがどうであれ、時代がいつであれ、場所がどこであれ、自然に湧き出てくるものでなくてはなりません。
これは持論ではございますが、
”正しくあることは大切だが、正しさを押し付けることは必ずしも正しさではない”
だと思っております。
ワタクシ自身完璧にこの通りに行動できているかと聞かれれば、正直頭が痛い話でございます。持ち前の原理主義的な部分が、ただの大衆批判の懐古主義になってしまっている事も少なからずございます。
ですので偉そうに上から押し付けるようなことは申しません。
ただマナーとは何かを今一度お考えくださいませ。
”分厚い校則はいらない。Be Gentleman(紳士たれ)の一言で十分だ”
── ウィリアム スミス クラーク
編集部から一言 |
大学で帽子って被りづらいよね |
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