私の就職活動
ピアノ調律師の父は人生を楽しみすぎている ~仕事編~

こんにちは、ライターのかまたまです。
背景と同化していてすみません。

突然ですが、今回は私の父の話をしようと思います。

なぜ急に実の父親のことをこんな場所でご紹介するのかというと、うちの父、ちょっと珍しいタイプの人なんです。
父の職業は「ピアノ調律師」。この道38年の職人です。
そして趣味はギター、ドラム、ジャズ、カーレース、ロードバイク、アニメ鑑賞、筋トレetc.

あまりにも身近にいたので今まで気づかなかったのですが、
父、構成要素が多様すぎる。

娘の私はこれといった趣味もなく家でひとりジ〇ジョを読んでいるというのに。

というわけで、多趣味職人の父に改めて仕事のことや趣味のこと、人生のノウハウ的なものを聞いてみることにしました。

そんなわけで香川県のド田舎にある実家へ帰省

ただいま~

おかえり~

ウィンウィンウィン…

父よ、また何か買ったな?

帰省したら実家の畳の間が簡易ジムになっていた。

嬉々としてウィンウィンやっているのが私の父、忠宏(ただひろ) 57歳である。

どうやら自分の誕生日プレゼントとして筋トレマシーンを買ったらしい。

 筋トレ中に悪いんやけど、ちょっと仕事のお話きいてもいい?

 仕事の話? じゃあ工房にでも行くか。

父の仕事場、「工房」

父の工房、つまり仕事場は、実家から徒歩2秒のところにある。

父は普段、この工房にこもって作業をしている。
中に入ると、作業をしている父の背中がこんな風に見える。

工具や部品などが散らばり、文字通り足の踏み場もない。
壁には父が自分で釘やら板やらでちょっとインスタ映えしそうな収納スペースを作っているが、

まあそこ以外はだいたいごちゃっとしている。


 今は特に散らばっとるなあ。

 普段と違いがわからんけどなあ。

ピアノ調律師である父に仕事について聞いてみる

「ピアノ調律師」って、どんな仕事?

 「調律」っていうんは、チューニングのことやな。ピアノは長いこと使うと音階が狂って変な音になったりするんよ。それを正しい音階に戻すのが「調律」。それをやるんが「調律師」やな。

 ふうん。でも、父さんの工房見たら、明らかにピアノがバラバラに解体されとるけど……調律ってそんな大変な作業なん?

 いやいやいや。調律自体はピアノをバラバラにせんでもできる。お父さんの場合は調律以外にもピアノの修理塗装・運搬なんかもやっとるけんな。


↑ピアノと言われてもピンとこないレベルに解体されたピアノ。父の仕事は言うなればピアノを「生まれ変わらせること」である。

 もちろん、修理とかはせずに調律だけをやる調律師もいっぱいおるよ。というかそっちのほうが多いかもしれん。

 そもそも調律師って全国に何人くらいおるん?

 お父さんみたいに自営業の人もおれば、会社員としてやる人もおるけん、一概には言えんけど……「日本ピアノ調律師協会」っていうのがあって、それに所属しとる人がだいたい3000人くらい。


↑父も日本ピアノ調律師協会の会員の1人である。ちなみに略称は「日ピ(にっぴ)」。

 ピアノ調律技能検定に合格した人だけが入れるんよ。ちなみに国家資格やけんな。

 エッ お医者さんや弁護士さんと一緒ってこと!? 

 大きなくくりとしてはね。専門的な知識や技術が必要ってところはおんなじ。


↑よくわからないが外国基準のピアノ調律資格も父は持っているらしい。

 知らなんだ……。

長くなりそうなので飲みながら話すことにした

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 専門的な知識や技術が必要っていうのはわかったけど、実際、音階の違いとかどうやってわかるん?  なんかの機械とか?

 そりゃあ、ですわ。 耳だけ。こうやって音を一つ一つ鳴らして自分の耳で確認しながら、調整していく。

 絶対音感ってやつか……。

 調律師は「人間チューナー」やから、音階をゼロから作り出せんといかん。白い鍵盤と黒い鍵盤の間の音の幅を100とすると、その2つ分、つまり半音のさらに100分の2くらいの音のズレが耳でわかる。

 ふーん……。

 

↑正直何を言っているのかよくわからなかったので適当に相槌を打っておいた。

なぜピアノ調律師になったのか

 そもそもなんでピアノ調律師になろうと思ったん?

 うーん、別になりたかったわけじゃないんよ。高校卒業するとき、進路に迷っとった。当時はバンドしよったけん、音楽で飯食っていきたいって進路相談の教師に言うたら、めちゃめちゃ怒られてなあ(笑)

 それは現代でも怒られそう。

 それに反抗して、しばらくバイトしながらふらふらしよった。でもまあその後、紹介で個人経営の楽器会社に入って。もともとギターのチューニングとかは経験してたから、調律師として勉強することになったんよ。

 勉強って……専門学校みたいな?

 いや。専門学校は当時もあったけど、中途では入れんかった。やけん、町工場で見習いとして働く中で、自分で勉強するしかなかったんよ。

 学校と違って、工場の職人は不愛想やし口数も少ないし……ほとんど見よう見真似。教科書も少ない。恩師に貸してもらった教本を手書きで全部写したりして。

 

↑当時の教本とノートは今でも持っている。

 うわー。私の大学受験のノートより本気や。

 独学といっても、今みたいにネットもないけんなあ。日中は工場で働いて、夜は自分で勉強っていう生活。それがだいたい1年くらい続いたかな。

 大学のテストをGoogle先生で乗り切ろうとしてる自分が恥ずかしくなってきた。

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うちの父

 

 

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